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プレスクアイル郡()は、アメリカ合衆国ミシガン州ロウアー半島の北部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は13,376人であり、2000年の14,411人から7.2%減少した〔Quickfacts.census.gov - Presque Isle County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はロジャーズシティ(人口2,827人〔American FactFinder - Rogers City, Michigan - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。 プレスクアイル郡とプレスクアイル郡区は共にフランス語で「半島」を意味する言葉 "Presque Isle" (直訳すれば「ほとんど島」)から名付けられた。郡区の大半は半島になっており、東にヒューロン湖、西にグランド湖に挟まれた細い帯状の土地がその北と南で本土に繋がっている。プレスクアイルの町がこの半島の中央にある。 プレスクアイル郡は1840年4月1日に設立されたが、郡政府が組織化されたのは1871年になってからだった。この政府は1875年に再編成された〔 Clarke Historical Library, Central Michigan University, Bibliography on Presque Isle County 〕。 == 歴史 == プレスクアイル郡となった地域に住んでいた初期の先住民は遊牧回遊型であり、土地は狩猟場として使っていた。アーキーオック川とスワン川の間の土地は神聖なるものだった。「プレスクアイル」という名前は、本土に付いている帯状の土地を陸送した毛皮交易業者によって付けられた。 この地域には航行可能な川が無かったので、初期の開発は遅れた。アーキーオック川が地域最大の川だが、浅く折れ曲がっており、早瀬も多かった。1839年春、ミシガン州から発注された測量隊がこの地域は無価値だと報告していた。このことでさらに開発がおくれ、1860年代になって、クロウフォードの家族が現在のロジャーズシティの南、ヒューロン湖の静かな入江に入植した。彼等は石切場を始めるつもりだったが、そこの石は割れやすくて建材には使いにくかった。彼等は製材業に転じ、五大湖を運航する蒸気船運航者に木材を売った。 1868年、アメリカ陸軍の士官W・E・ロジャーズが、アルバート・モリターを監督としてプレスクアイルの測量隊を組織した。彼等は巨大な森林を見て、クロウフォードの石切場を購入しようとしたが断られた。その後ロジャーズシティの地で土地を購入するモリター・ロジャーズ会社を結成した。翌年にはドイツやポーランドからの移民が大挙入ってくるようになった。この会社は、製材所、店舗、宿泊所、鍛冶屋を建てた。この小さな町への補給はこの会社のみが行っていた。1870年から1871年の厳しい冬を乗り切った後は、町が繁栄を始めた。 地域の初期開拓者は木樵、漁師および農夫だった。1907年、ニューヨーク出身の鉱山技師で地質学者のH・H・ハインドショーがクロウフォードの石切場を訪れ、そこに石灰岩が多くあることを発見した。この発見に続いて石切場の新しい名前であるカルサイトにミシガン石灰岩化学会社が設立され、8,000エーカー (32 km2) の土地を購入した。その製品を積み出す手段が必要となり、ブラッドリー輸送会社が設立された。この会社が地域の主要産業となり、現在も多くの地域住民が雇用されている。1958年、ブラッドリー輸送会社の用船である''カール・D・ブラッドリー''がミシガン湖で沈没し、33人の命が失われた。そのうち29人はプレスクアイル郡の住人だった(26人はロジャーズシティ、2人はオンナウェイ、1人はメッツ郡区の出身)。 今日、世界最大の石灰岩加工工場がロジャーズシティにあり、五大湖でも主要な港になっている。ヒューロン湖のポートヒューロンとマキノーシティの間では最良の天然港である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プレスクアイル郡 (ミシガン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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